ヒルカントリーへ - 4:
ヌワラエリヤのコロニアルホテル
(ヌワラエリヤ、スリランカ)

遠くにいると故郷が懐かしくなるもの。スリランカに来た英国人がヌワラエリヤを「発見」したのも、そこに、イングランドと似た気候、風景があったからでしょう。故郷を見つけたら、次は、慣れ親しんだ家をつくる番。そうやって、19世紀にやって来た英国人は、思い思いに邸宅を建てて行きました。ただし、本国らしくなるほど、異国の地で固執することの物哀しさも浮かびます。

今、いくつかは、コロニアルホテルとして残り、町の魅力となっています。グランドホテルとヒルクラブは、その代表。西の丘の麓に隣り合って立っています。このあたりは、針葉樹に似た豊かな林が続き、ヨーロッパの高原を散策しているようです。

グランドホテルのオープンは1891年。元々は、19世紀半ばにつくられた、スリランカ総督エドワード・バーンズ卿の別荘でした。チューダー様式「のような」外観は、ありそうでなさそうな、疑似イギリス風。それはそれで、かしこまらず、スリランカの避暑地に合ってます。

美しく保たれた館内は、歴史映画に迷い込んだよう。天井の漆喰も、壁の刳り型も、通路のじゅうたんも、今なお、お屋敷らしい品のよさが健在です。ゲストがまず案内されるのが、中央の八角ホール。ここで、紅茶のサービスを受けながら、チェックイン。クラシックな空間の中、ここだけが幾何学的でモダンなのは、20世紀に入っての増築でしょうか。

ヒルクラブは、1876年、ホームシックに掛かった英国人コーヒー農場主の邸宅として建設されました。今は、誰でも宿泊できるホテルですが、1970年までは、英国人男性専用のクラブとして利用され、スリランカ人や女性の入館を禁じていたそうです。

門を入ると芝生の斜面。向かいのゴルフ場の芝生と響き合います。回り込むように上って行くと、イギリスは湖水地帯のマナーハウスという面持ちの館が現れます。氷雨の降る暗々とした天気に、いっそうその感を強くします。

住宅のような小さなエントランスを入ると、右手が大きなライブラリー。飴色の床板、黒光りする梁組、がっしりしたソファ、書き物机、本棚・・・壁に掲げられたプレートには歴代のクラブ代表の名・・・棚には数々の試合のトロフィー。この建築が辿った時間をいちばん感じ取れる場所です。

南翼には、食堂とサロン。植民地時代さながらの、時間厳守とドレスコードで有名なディナーも、噂ほどではなかったのは、時代に逆らえないということでしょうか。

ディナーの後のティータイムに、サロンへ。空気も冷え、暖炉に火が焚かれました。心地よさにうとうとしていると、スリランカにいることを忘れます。農場主も、こうやって夢の中のイギリスに浸り、無聊を慰めたのかもしれません。

さて、滞在するならどちらか?。

アメニティーグッズや施設の充実がかかせない人には、グランドホテルがお薦め。それが功を奏し、大衆化したところもあるし、居心地よくリノベーションした客室は、時間が希薄になっとところも・・・。

調度にちぐはぐなところもあるし、朝食は、イギリス風の王道だとしても、植民地時代の時間の澱りを味わうならヒルクラブ。裸足で歩いても、汚れないほど、客室の床板は、磨き抜かれています。ただし、評判通り、スイートが、無難なよう。

どちらを選ぶにしろ、ヌワラエリヤから、純正の植民地時代の空気が消えつつある今、ここに泊まることが、その頃の面影を辿る確実な機会のようです。

英語版へ移動する

Google Maps で場所を見る

交通
ヌワラエリヤの中心街から歩いて10分程度。

リンク
Grand Hotel
Hill Club

参考文献 

Upload
2007.12 日本語版の文章、写真+英語版の写真

Update
2008.04、2010.06 写真の変更
2018.01 日本語版の写真+英語版の文章、写真

← previous  next →

Copyright (C) 2010 Future-scape Architects. All Rights Reserved.
無断転載は、ご遠慮いただくようにお願いいたします。

← previous  next →

グランドホテル (1891)

ヒルクラブ (1876)

        Photo by Daigo Ishii