アヌラーダプラの遺跡地区 - 3: 
スリー・マハ菩提樹
(アヌラーダプラ、スリランカ)

紀元前247年、インドのアショカ王の息子マヒンダがスリランカに仏教を伝えました。当時のスリランカ王の依頼により、しばらく後、アショカ王の娘サンガミッタが、インドのブッダガヤーより、菩提樹の分け木を携えて来ました。ブッダがその下で悟りを開いた木です。その分け木が、このスリー・マハ菩提樹となりました。

アヌラーダプラの菩提樹は、大木ですが、2300年の樹齢から想像するほどの際だった大きさはありません。そして、その穏やかなこと。厳しい修行の後に悟りを開いた場所には、鬱蒼として屹然とした雰囲気をイメージしていました。

実際の菩提樹の下は、葉も茂り過ぎず、明るい木漏れ日にあふれた、心地よく、そして近づきやすい空間です。ブッダが悟りを開いたときの菩提樹もこんな感じだったのでしょうか。

アヌラーダプラの菩提樹の下にいると、悟りを開くとは、現世から隔絶するのではなく、現世を寛容に受け入れ、優しく見守る境地に思えて来ました。

元々は、回りと同じ高さの地面に植えられていましたが、数千年の間、菩提樹の成長に伴って、少しずつ土が積まれ、今のテラスの高さとなりました。菩提樹を巡るテラスの四方には、1つの本堂と3つの小堂が置かれていますが、樹木が方角に関係なく枝を差し伸ばすため、堂内と屋外を含めたテラス全体が、大きな梢の屋根に覆われた一つのお堂のようです。

参詣者は、堂内からテラスの地べたまで、思い思いに座り、あるいは、時計回りにテラス全体を周遊して、祈り続けます。日がなここで過ごしているような人もいました。年を取ったとき、この樹の下で毎日過ごすのもいいな、と思えるほど、和らいだ気分になれる場所です。

実際の菩提樹は、2300年の間、平穏無事だった訳ではありません。10世紀の遷都後、数百年は、限られた僧や信者により細々と守り続けられ、その後、聖地としての支持を回復してからも、象や嵐による被害、根腐れ、ヒンドゥー教徒による攻撃など、受難は続きました。

入口で、厳しい荷物検査がありますが、仏教のシンハラ系住民とヒンドゥー教のタミール系住民の紛争の続くスリランカでは、一見平和に見える菩提樹の風景も、紛争の象徴的な存在です。まさかの場合に備え、敷地の周辺には、神木から分け木した子孫の木が植えられています。一部には、新たに、ブッダガヤーから持ってきた分け木もあるそうです。

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スリー・マハ菩提樹のリンク

交通
アヌラーダプラまで、コロンボから鉄道で4時間半、車で5時間。アヌラーダプラの駅からスリー・マハ菩提樹までは2kmほど。

宿泊施設のリンク

参考文献
地球の歩き方「スリランカ」(ダイヤモンド・ビッグ社、2007)
Mahavihara at Anuradhapura (T. G. Kulatunga, Tharanjee Prints, 2002)

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スリー・マハ菩提樹 (紀元前288)

Photo by Daigo Ishii