新むつ旅館(八戸、青森、日本)

バス通りを歩き、「新むつ旅館」に入る路地の角に立った瞬間、不思議な感じがしました。バス通りと交差していた、それまでの細い街路と違い、路地の幅員は10メートル以上あるのではないでしょうか。バス通りより広く、場違いな太い路地が忽然と現れ、交差する道もなく、200メートル続くと、そのまま行き止まっているのです。

そう、ここは、遊郭という異空間のための都市構造に由来する一郭なのです。明治維新後、風紀の問題から遊郭が集められて、小中野新地となり、昭和32年(1957)の売春防止法制定時まで栄えたそうです。最大で33軒の遊郭と貸座敷、120人の芸者に半玉がいたと言う賑わいの名残と言えば、今は、人と車でごった返していたと想像されるこの広い路地と、バス通りを渡った反対側、建て込んだ家並みの中に突然現れる鍵型にクランクしたこれも幅広の街路、そして、これから訪れる「新むつ旅館」ぐらいになりました。裏びれた料飲街が残り、古い建物のディテールに、それらしきものがない訳でもないのですが、静けさの中、気配は消え掛かっています。

路地の奥近くに立つ「新むつ旅館」の前身「新陸奥楼」が生まれたのは、明治31年(1898)。ご主人の話によれば、芸者を抱えず、貸座敷として営業していたそうです。客室で、当時の遊客名簿が閲覧できますが、地元八戸だけでなく、遠く東京からも客が訪れ、繁盛を極めていたことがよく分かります。それにしても100年近く前の話とは言え、自分の遊びの記録が、こうやって公式に残るのは、すでに墓の下に入っていても、ちょっと気恥ずかしいものではないでしょうか。

建物は、間口6間、奥行9間半。北国の気候のせいなのか、遊郭街の区画が建て込んでいたのか、思ったよりは、コンパクトにまとまった建築です。元々は、平入りの外観でしたが、昭和32年(1957)の旅館への用途替えの際に、唐破風の玄関に改装したそうです。こういう改装をどう評価するか難しいところですが、古い写真と見比べると、遠目には、街並の一部に埋もれて見えただろう平入りに比べ、却って、遊郭らしい出自の華やかさが増したようにも見えました。

ただ、この「新むつ旅館」の真髄は、どちらかと言えば、外観の立面構成よりは、そのディテールにあります。1階の庇を支える土柱は、竹の節のように加工された銅板で覆い、それが柱の反りに合わせて、かすかに折れ曲がります。庇の化粧たる木は、交互に配された桜と白樺の幹。軒端を飾るのは、商売繁盛や魔除けの意味のある三角のうろこ模様や、花弁のように1/4円を組み合わせた縁起のいい七宝文様の木工細工です。そして、2階の出し桁造りの庇の根元には、丸く愛らしい照明が繰り返します。部分部分が、日常から離れた場にふさわしい酔狂さでデザインされています。

内部の見所は、建物の中央にある吹抜の広間。そこを囲んで、2階に座敷を配置し、光が、天窓から落ちて来ます。吹抜の中央には橋が掛かり、1階から、Y字型に二別れした階段で、橋の袂まで上がります。橋とY字型階段という、いかにも遊興空間らしい劇的なアプローチですが、Y字型階段は、昭和32年の改装の際の造形で、元々は、Y字の一方が、1階から直進して2階に上る構造だったそうです。文化財的観点からは、オリジナルから離れたこの改変の評価も迷うところですが、実際この場に身を置くと、元からほんとうはこう演出したかったのだと思えるぐらい、空間にしっくりとしていました。

ご主人は、子供の頃、商売のことで、学校でいじめにあったこともあり、家の仕事が嫌でしかたなかったそうです。だから、八戸の外に出て会社員として働いた後、1980年代初め、戻って、すでに商売替えをしていた旅館を継ぐに当たっても、複雑な思いがあったのではないでしょうか。そして、遊郭という出自を嫌う回りの家が、皆、建て替えた中、同調せず、守り通すのにも、揺れがあったそうです。そういう経緯も超え、なんとか築100年を迎えて、登録文化財に指定されてみると、また新たな悩みが生まれて来ました。今度は、どうやって維持して行くかということ。

建築年数からすれば、個人の手に余るのは確かですし、歴史ある町の割には、特別な建築の少ない八戸だからこそ、公の支援など、この建築を一緒になって後世に伝え、町の時間の厚みとして、観光のポイントとして、保護する手だてが急がれます。

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交通
八戸駅からバスで25分(10分間隔)、新丁で下車。

リンク
新むつ旅館

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参考文献
"デイリー東北 1996.1.1" (デイリー東北新聞社、1996)

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        Photo by Daigo Ishii