青森のお祭り:えんぶり - 5
(八戸、青森、日本)

城下から離れた地域で発達した「どうさいえんぶり」に対して、「ながえんぶり」の生まれ育ちは主に八戸城下。だから、太夫に主従がなく、派手な「どうさいえんぶり」に比べ、「ながえんぶり」の、主役の藤九郎と脇の太夫の役割分担や、剣舞を連想させるゆったりとした動きには、武家の影響があると言われます。

「みじか」と呼ばれる胴着と股引の上に、前掛けのような「腹当」と紺地または黒地の「ぶっさき羽織」をまいます。足袋の上に履くのは、藁で編んだ雪靴「つまご」で、そこに、スネ当ての「はばき」を巻きます。ここまでは、すべての「えんぶり」に共通ですが、頭に被る「烏帽子」と手に持つ「採り物」に、違いがあります。

太夫の被る「烏帽子」は、農耕馬の頭を象徴し、豊作を司る神様を呼ぶためのもの。この烏帽子を被ることで、太夫は、人であり、馬であり、神になるのです。南部地方が馬の産地であった名残が、この烏帽子や、各組の親方の持つザイに見られるそうです。

烏帽子は、2、3ミリに薄く割った板または厚紙でつくった土台に、和紙を重ね合わせて圧縮し、重さは2キロ近く。白い胡粉を下塗りし、その上に、絵を描きます。頂部は、神が宿ると考えられている5色の「タテガミ」で縁取っています。

八戸市博物館の解説によれば、「ながえんぶり」の先頭であり主役の、「藤九郎」の絵柄は日・月・田を耕す馬・田植えの風景、間の太夫「中畔(なかぐろ)」は、打ち出の小槌などの宝尽くしに海老や鯛、最後の太夫「畔止め(クロドメ)」は鶴亀に松竹梅。一方、「どうさいえんぶり」では、最初の太夫は鳥居・お稲荷様・馬、間の太夫は大国様・ねずみ・酒樽・田植えの風景、「畔止め」が恵比寿様・鶴亀になります。

他の本では、太夫の順序に合わせて農作業の過程(先頭の太夫は代掻き馬、中畔は苗取り(田植え)、最後の畔止めは稔りの様子)が絵柄になっているという記述もあります。

ちなみに、「畔止め」とは、水が漏れないように畔を固める作業で、太夫の名からも、「えんぶり」の由来と農業の近しさが窺えます。

とは言え、農業と生活の結び付きが弱まったためか、それとも単なる流行なのか、観察する限り、農作業の過程を描いた絵柄は少なく、お目出度いものが主流でした。色遣いは違っても構図の似たものが散見されたのは、雛形があるのか、それとも、時間を掛けて煮詰められたからなのか。明治時代まで、烏帽子は小さかったという話なので、時間的に、どれほど遡れる図柄か定かではありませんが、日本画家の関与もあり、いずれにしても、完成度の高い意匠です。

絵柄の他にも、2つの「えんぶり」の烏帽子には違いがあります。「ながえんぶり」では、赤い牡丹や白い卯の花を付けた藤九郎の烏帽子と、何も付けない残りの太夫の烏帽子に分かれ、花飾りの有無が、主脇の差を示すサインとなっています。それに対して、全員が同格の「どうさいえんぶり」では、烏帽子に違いはなく、頂部から垂れた五色の紙の房「マエガミ」が、「ながえんぶり」との違いを示します。

今、「ながえんぶり」の白い卯の花の烏帽子は、ほとんど消え、赤い牡丹が主流だそうです。摺りの派手さを「どいうさいえんぶり」に譲る「ながえんぶり」なりの、華々しさへの憧れでしょうか。

英語版へ移動する

Google Maps で場所を見る

交通
八戸駅からバスで20分(10分間隔)、十三日町、三日町で下車。

リンク
えんぶり(八戸市役所)
えんぶり(八戸観光コンベンション協会)

八戸市役所
八戸観光情報
八戸観光コンベンション協会

青森県観光情報サイト

宿泊施設のリスト
八戸市の宿泊施設

参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)
"図説青森県の歴史" (成田稔・長谷川成一, 河出書房新社, 1991)
"郷土資料事典 青森県" (人文社, 1998)
"季刊あおもり草子第25号" (企画集団プリズム, 1985)
"えんぶり読本" (正部家種康, 伊吉書院, 1992)
"江戸時代ひとづくり風土記2青森" (農山村漁村文化協会, 1992)
"八戸市博物館 えんぶり展" (八戸市博物館, 2012)
"八戸三社大祭の歴史"(三浦忠司, 伊吉書院, 2007)
"八戸三社大祭公式ガイドブック"(八戸観光コン

Upload
2018.01 日本語版の文章、写真+英語版の写真

Update 

← previous  next →

Copyright (C) 2010 Future-scape Architects. All Rights Reserved.
無断転載は、ご遠慮いただくようにお願いいたします。

← previous  next →

えんぶり 烏帽子

        Photo by Daigo Ishii