青森のお祭り:八戸三社大祭 - 1
(八戸、青森、日本)

元々は城下町で、戦災の被害も小さかった八戸中心部ですが、意外なほど昔の街並はなく、戦後、工業と水産業の町として発展した証のように、近代的な建物が巾を利かせています。

そんな八戸が、近代的な街の影に息づく昔からの顔を見せるのが、2月と7月に開かれる、2つの祭りです。

7月31日から8月4日までの5日間にわたり開かれるのが、八戸三社大祭。八戸の中心部にある3つの神社、おがみ神社(旧名法霊社)、長者山新羅神社、神明宮の祭礼です。

「八戸三社大祭の歴史」(三浦忠司著)によれば、享保6年(1721年)に、法霊社の御輿が、城下を回って、長者山に渡ったのが始まり。法霊社に祈願した天候不順の回復と五穀豊穣がかなったことへの御礼の祭でした。ただ、単なる祭事ではなく、八戸城下の商業的繁栄の意図もあったようで、その意味では、江戸時代の中心市街地活性化策と言ったところか。城下の商人も祭礼の行列や山車に積極的に関わり、盛大になって行きました。

「八戸三社大祭の歴史」に書かれた下りでおもしろいのは、飢饉の年に、簡素化が求められましたが、当時の記録「法霊御神事諸入用覚書」には、下層民が、祭の人足として生計を立てているので、行列を取り止められないとの商人の発言が残されているところ。祭は不況対策にもなっていたのでした。

明治20年(1887年)、新羅神社と神明宮が加わりました。それまでは、屋台に、毎年同じ人形を載せていましたが、現在のように、毎年新調の「風流山車」と呼ばれるものになりました。この変革は、自然の流れではなく、八戸藩士で、明治時代、興業プロモーターとして成功した大沢多聞の働き掛けによるもので、今でこそ珍しくないプロデューサー型地域おこしの走りともなった訳です。

さて、祭の一日目は、前夜祭、いわゆる宵宮です。

夕方近く、トラックに牽引されて、会場の市役所前と大通りに、次々と山車が現れました。先ず、この段階では、思ったより小さいなあという印象。それもそのはず、移動のために、飾りがしまい込まれていたのです。

山車が定位置に付くと、飾りが開きます。上下の昇降装置と、前後に倒す折りたたみ装置の組み合わせで、ぐんぐんと飾りが迫り上がり、あっと言う間に、4階ほどの高さになりました。さらに、手動で、左右に観音に開き、荷台に載っていた到着時からは、想像もできなかった大きさです。

山車は、飾りを何層にも重ね、それが、手前から、後背まで、少しずつ高さを上げて行きます。大抵は、歴史の故事や伝説、歌舞伎にちなみ、「三国志」「竹取物語」とか、土地の人でないと分からない「南部師行、騎馬軍団出陣の場」と言った具合です。

ただ、巨大でも、青森ねぶたのような複雑な立体構成ではなく、歌舞伎の書割りか浮世絵のように、層の重なりで、遠近を表現したものがほとんど。思い出したのは、酉の市の巨大な熊手というか、紅白歌合戦の小林幸子の衣装というか(失礼!)。

会期中、文化施設「はっち」で、大祭の変遷を展示していましたが、元々の山車の基本は4通り。岩を主体とし、木々や滝を絡ませた「岩山車」、赤い欄干の中に、人形で踊りの場面を表現した「高欄山車」、海上を表現する波しぶきに取り囲まれた船による「波山車」、そして、大きな門や城の一部を山車に載せた「建物山車」です。

現在の山車は、4つを複合的に組み合わせたものとのことですが、昔の山車の写真と比べると、現在の山車は、基本要素を豪勢に組み合わせながらも、立体表現では平板な面の重なり、という伝統的遠近感に近づいています。多様になったことで、却って、違いが小さくなった印象です。

その中で、現在すたれて来ている基本要素が建物山車。昔の写真を見ると、かなりすごい。山車から3、4mある跳ね出しで、建物が宙に飛び出しているのです。現在の平板化の流れとは相容れない立体感覚だったのかもしれません。

江戸時代は商人が担い手だった山車も、明治時代に町内単位の製作に変わりました。2011年の参加は27組。驚くのは、それぞれの山車が、町内会の住民による手づくりということ。それも毎年つくり替えです。数組にお伺いしたところ、製作費は平均200万円ほどで、早いところでは2月から始めるそうです。近寄ると分かりますが、材料は、発泡スチロールと合板。それを塗料で塗り分け、衣装で飾ります。細工の容易な材料とは言え、この規模、この細かさ、それを業者に頼らず、住民自身でつくるのです。八戸とは、コミュニティー力のすごい町です。

日が暮れかかると、山車の最前列に座った子供達が小太鼓を叩きながら、ヤーレヤーレの掛け声を始めました。その奥では、大太鼓を兄貴分、姉貴分が威勢良く打ち、そこに笛や木遣り唄が加わります。ビル街に、今日だけは昔語りの音が響きます。暗くなり、山車が、照明でいっそう輝やきます。小雨になりましたが、大半はずぶ濡れのまま、お囃子は続きます。午後6時から9時まで、雨もものともせず、華やかに宵宮は更けて行きました。

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交通
八戸駅からバスで20分(10分間隔)、十三日町、三日町で下車。

リンク
八戸三社大祭(八戸市役所)
八戸三社大祭(八戸観光コンベンション協会)

八戸市役所
八戸観光情報
八戸観光コンベンション協会

青森県観光情報サイト

宿泊施設のリスト
八戸市の宿泊施設

参考文献
"八戸三社大祭の歴史"(三浦忠司, 伊吉書院, 2007)
"八戸三社大祭公式ガイドブック"(八戸観光コンベンション協会, 2011)

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八戸三社大祭 宵宮

        Photo by Daigo Ishii