ビンタン島の水上集落 - 2:
センガラン
(ビンタン島、インドネシア)

中国系コミュニティーの民度の高さと、それとは裏表の部外者への閉鎖性は、たとえ、それが水上集落でも変わらないようです。

センガランに足を踏み入れたとき、集落というよりも、町に来たように感じました。

最初の驚きは、コンクリートの桟橋でした。パッと見には、ふつうの道路に見えますが、水中に打ち込んだコンクリートの柱脚が支える立派な橋。インフラをきちんと整備できること、即ち、それが、コミュニティーの力です。

岸の入口からずっと歩き、別の入口から来た「道」とぶつかるあたりには、商店が固まっています。商店街がこんなところにあるなんて、と感激するのは、水上集落に対する偏見でしょうか。建て込んだ一郭は、小さな市場の辻に迷い込んだ気分。ここって、水上でしたっけ?。

さらに、インターネットカフェを発見。水上集落に!です。コンピューターゲームに熱中している子供がいるのは、陸も水の上も同じでした。

「道」の途中には、屋根付きの共有テラスらしき場所(写真4段目左)。何組かの老人が麻雀をしているのが、イカすコミュニティー風景に見えたので、遠くからパチリ、そして、近付いて、パチリとしようとしたその時、中の一人が形相を変えて、両腕で大きく「×」と、ジェスチャーしました。他所者に対する不快感と拒否感で一杯の目でした。

そう、この老人に限らず、皆、眼差しが冷たいのです。すれ違う人に軽く会釈しても、無視か、冷たい会釈です。まあ、勝手に入って行った自分に非があるのは、明らかなので、申し訳なさで一杯ですが、カワルやペンエンガット島と比べると、民族性の差を見てしまいます。

そこには、移民であること、陸ではない水上に住むこと、インドネシアに翻弄された中国系住民の歴史などが、ないまぜになり、そして、何よりも、中国系であることの誇りがあるに違いありません。彼らの住居は、タンジュン・ピナンの下町の中国人街と同じように、軒近くに、日本のうだつに似たカーブ状の板を出しています。センガランに彼らが来たのは、1740年頃。中国人の海外移民のもっとも早い例の一つらしいですが、それだけの時間を経ても、なお、彼らの出自、中国南部の住居形式を受け継いでいることに、誇りが伺えます。

そして、水上集落入口の岸辺には、道教寺院が立ち、線香が耐えません。それもまた、自分たちの由緒を正統化する大事な証に違いありません。

道、商店街、インタネットカフェ、共有テラス、道教寺院、そして、刺すような視線。センガランは、水上集落が、中国系コミュニティーの手に掛かると、都市的な集落になるという、とても興味深い場所です。

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交通
タンジュン・ピナンの港からボートで15分。定期船も、チャーターボートもあり。

宿泊施設(タンジュン・ピナン)のリスト
Comfort Hotel & Resort Tanjung Pinang
Hotel Furia(TEL 62-771-31125)
Pelangi Hotel

シンガポールからのフェリー船着場周辺に、エコノミーホテルが点々とあり、当日飛び込みで宿泊できます。
旅行の際に調べた情報であり、評価については、各人でご確認下さい。

参考文献 
Wikipedia

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センガランの集落

センガランの道教寺院

        Photo by Daigo Ishii