恐山 - 1(むつ、青森、日本)

深い森の先に、宇曽利湖が見えると、空気の匂いも変わって来ます。それまでのひんやりとして澄んだ森の空気が、少しずつ硫黄の焦げたような匂いへと移って行きます。そう、恐山は、視覚より先に、嗅覚が感じ取る場所なのです。

日本三大霊場の一つであり、イタコの口寄せでも有名な恐山は、下北半島の中央、恐山火山のカルデラの中に位置します。火口の中に立つ3つの丘とカルデラの外輪に連なる5つの峰は蓮華ハ葉と名付けられ、その中央には宇曽利湖。そして、その湖畔から火口丘の間を縫うように、本坊や宿坊のある伽藍や硫気孔のある賽の河原が広がります。

屏風のように立ちはだかるも、外輪山の山容は、やわらかなシルエットと濃い緑が静寂をつくります。ウグイ以外の生物が見られないという強酸性の水質によるのか、湖の色は、夾雑物をすべて取り去ったような質感の希薄な水色です。風景は、どこか浄土を連想させます。

一方、湖畔から少し入ると、そこは、草木も消え、ごつごつとした岩の間の至るところから、鼻を突く匂いを漂わせながら、白い煙が立ち上がり、せせらぎには、蒸気の硫黄分が酸化して、黄色や薄緑を帯びた石が残ります。地獄の入口に置いて行かれたような気分になって来ました。

この2つの対照的な風景の間に立つと、ここが霊場となるべくしてなった場所であり、はるか昔から人々の畏敬の念が連綿と引き継がれて来た地と、誰もが想像するに違いありません。
しかし、話は、そんなに単純ではないようです。

貞観元年(859)に慈覚大師が創設したとも、あるいは、享禄三年(1530)に、今もこの地を管理している円通寺を開山した宏智聚覚が再興したとも、文書には書かれているものの、それを裏付ける資料はなく、現在見られるような恐山信仰となったのは、江戸時代中期と考えられています。原始的な気配をまとっていることで、宗教が形成される以前からの祈りの場と、勘違いしてしまいますが、比較的新しい信仰なのです。

そしてまた、この清浄と苦悩が交差するランドスケープも、昔からのものではありません。「宇曽利百話」によると、江戸時代に、136個所から吹き出していたガスも、明治時代の硫黄採掘、特に、三井鉱山による大掛かりな発掘で、噴出が弱まり、30個所まで減ったそうです。そして、硫黄採掘のため、宇曽利湖の落口を切り下げた結果、水位の低下で、湖底の亜硫酸ガスが増大し、周辺の樹木が枯れてしまいました。

元々は、噴煙はもっと激しかったものの、印象としては、現在ほどには荒涼としていなかった、ということのようです。環境破壊により改変された風景は、出現してみれば、浄土と地獄という2つのコントラストを、幸か不幸かいっそう明確にしました。その結果、いかにも、太古の昔からの自然の手になるものと、大衆に錯覚させ、信仰心を、以前に増して、かき立てるほど、強い磁力を持つ場へと進化したのです。

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交通
下北駅からバスで35分(1日7本)、恐山で下車。徒歩すぐ。冬季運休。

リンク
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参考文献
"青森県の歴史散歩" (青森県高等学校地方史研究会編, 山川出版社, 2007)

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恐山

        Photo by Daigo Ishii