八戸に学べ:八戸の町 - 2
(八戸、青森、日本)

  →八戸神社大祭
  →えんぶり

そんな八戸を紹介する施設が、中心部の真ん中にある「はっち」。針生承一さんを筆頭とするチームが設計しました。八戸のさまざまな魅力を、模型を多用した楽しい展示で案内します。ここを見ると、やはり八戸はソフトが充実しているなと実感します。4階まで飲食や一坪ショップを入れて、展示スペースと融合させるというのは、役所の施設としては、かなり大胆ですが、上階にも市民が集まっていました。

その「はっち」が企画した、アーティスト山本耕一郎さんによる「八戸のうわさ」プロジェクト。これがまた、八戸らしい。町歩きで見掛けてなんだろうと追跡したら、「はっち」に行き着きました。恒久的かは分かりませんが、吹き出しの形をした緑色のサインが、まちなかの至るところに張られ、八戸のコネタを紹介しています。

個人的に気に入ったのは、「青森銀行と北海道銀行の間の通りが、津軽海峡通り」という話。他にも、「わが家のママは最近フライデーされた!んだってーっ!!!」とか「鎖をつないだ状態でお店が並んでたから「れんさ」街になったらしいよ」とか、いろいろ。

弘前大学の八戸サテライトには、「弘大に日本一長いフーコー振り子があるそうですね」とか「弘大では鮭の鼻軟骨から採れるプロテオグリカンの研究が熱い!らしいよ」と張られ、エールを送っていました。かつての仇敵で、今も対抗意識の残る弘前ですが、時代は変わり、戦略的互恵関係に発展しつつあるのかもしれません。

さて、八戸の締めは、東北有数の飲み屋街へ。ただ、一見さんには、中の窺えない古くからの飲み屋は、ハードルが高そうなので、先ずは、みろく横丁はどうでしょうか。老朽した建物を壊した跡地が、商工会議所の発案で、屋台村となりました。店舗はガラス張りなので、人の入りも、値段も、お母さんの相性も一目瞭然。夏には、戸を外し、外にテーブルを置き、いっそう気持ちよい宵となります。

敷居が低く、いつもにぎわっているように見えるみろく横丁ですが、店のお母さんの話では、東日本大震災の後、人出が減ったとのこと。三陸から八戸に遊びに来ていたお客さんが、かなり津波で亡くなられたそうです。哀しい話です。かくいう八戸も、沿岸部は大きな被害を受け、無傷ではありませんでした。それでも、他の町ほど、八戸が痛々しく見えなかったのは、この町が、ハードにあまり頼っていないからかもしれません。仮設建築のような八食センターも、岸壁さえ元通りになれば再開できた館鼻朝市も、八戸三社大祭もえんぶりも、そして、簡易なみろく横丁も、どれもが、ソフトの魅力で、人を集め、災害がハードに被害を与えても、容易には屈しません。

そう、八戸は、災害に強い町なのです。ただし、それは、建築の耐震性が高い町というより、被災しても回復力の早いソフトに優れた町という意味です。町づくりを超え、災害との付き合い方でも、八戸は先駆的なのです。

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Google Maps で場所を見る(八戸中心街)
Google Maps で場所を見る(はっち)
Google Maps で場所を見る(みろく横丁)

交通
八戸駅から中心街までバスで20分(日中10分間隔)、十三日町、三日町で下車。陸奥湊まで40分(日中10分間隔)、上柳町で下車、徒歩5分。

リンク
八戸ポータルミュージアムはっち

八戸市役所
八戸観光情報
八戸観光コンベンション協会

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八戸市の宿泊施設

参考文献

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はっち

アートプロジェクト「八戸のうわさ」

みろく横丁

        Photo by Daigo Ishii