青森の森を抜けて - 八甲田から十和田へ:八甲田ホテル - 1
(青森、青森、日本)

明治時代、外国人観光客の獲得のためつくられたホテルの一つが十和田ホテルで、丸太を積み上げた似たような外観やクラシックな印象から、長い間、八甲田ホテルも、十和田ホテルに連なるホテルと思っていました。実際には、堀口捨己の弟子でもあった建築家の早川正夫さんが設計し、1991年に完成した、比較的新しいホテルでした。

経営母体は、酸ヶ湯温泉旅館と一緒で、森の中のホテルをつくりたいという思いから生まれたそうですが、酸ヶ湯温泉の災害時の湯治客受け入れという側面もありました。実際に、東日本大震災の際は、停電で営業できなくなった酸ヶ湯温泉の湯治客を、自家発電のあった八甲田ホテルが受け入れて、食事を提供しました。

その同経営の酸ヶ湯温泉から、道を上ること10分、標高も20m高くなると、八甲田ホテルに到着です。青森から十和田湖に抜ける国道も、冬期はここから蔦温泉近くまで、積雪のため、通行止めとなります。気象庁の観測地点ではありませんが、酸ヶ湯温泉より標高が高く、雪がいっそう深くなる場所です。

春から秋までは、ブナ林の緑に囲まれた場所も、冬は、雪に閉ざされ、白一色。ここから先は道もないため、宿泊客以外の来訪も稀ですし、その気配もまた、雪に吸われて行きます。ただ静けさの中にあるホテルですが、その静けさと雪が、この上なく贅沢に感じられます。

ホテルは、本館と、そこから枝のように伸びる5棟の客室棟から成ります。

ロビーやレストランなど共用施設の置かれた本館は、大きな切妻屋根と、それを支える架構をあらわしにした、8mを超える天井高の空間です。この大空間を実現するために、早川正夫さんが開発したのが、「カンザシ工法」。

520mm角の米松の柱に、「やとい」と呼ばれる接合材を差し込み、その「やとい」の両側に、成(高さ)が480mmの米松集成材の合わせ梁を止め付ける工法です。柱に「やとい」を差し込んだ様子が、花魁のかんざしを連想させたので、「カンザシ工法」と名付けたそうです。

外壁や内壁には、レッドシーダーの丸太を組み上げたログ構造を採用し、それが、山小屋の雰囲気をホテルにもたらします。

おもしろいのが、建物の構造は、先述した「カンザシ工法」の柱と梁で担い、レッドシーダーのログは、構造から自立したカーテンウォールになっていること。一見すると、伝統的な山小屋風ですが、柱が建築を支え、平面や立面が、構造から解き放たれて自由にデザインされることを提唱した、ル・コルビュジエの「近代建築の5原則」、その「自由な平面」「自由な立面」に則っているのです。

同じ津軽の弘前にあり、「自由な立面」を実現しようとしたものの、昭和初めの技術の限界や気候の厳しさに制限された、前川國男による鉄筋コンクリート造の「木村産業研究所」、その建築への、木造からの、そして津軽の風土からの返答にも見えました。

客室棟は、折れ曲がりながら森の中に伸びて行きますが、これは、計画時に、大きな木々を避けて、建物を配置したためで、客室に移動するために歩いていると、緩やかに変化して行く動線が、森の小径を散策する感覚です。

客室棟も本館同様、木造ですが、延床面積が6200m2、地下のコンクリート造部分を除いた木造部分だけでも4500m2となり、一体につくると、建築基準法の防火規定に抵触するために、延焼を避けて、各棟を12m離した上で、各棟を結ぶ渡り廊下を鉄筋コンクリート造にしています。

内部を歩く分には、インテリアの仕上げが連続しているため違いに気付きませんが、外から見ると、コンクリートに灰色の吹付タイルを施した渡り廊下は、森の中に都会を持ち込んだような、異質な感じがあり、少し気になりました。

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交通
青森駅からバスで80分。

リンク
八甲田ホテル

青森市役所
青森市観光情報サイト

青森県観光情報サイト

宿泊施設のリスト
青森市旅館ホテル組合

参考文献
"住宅建築1992年2月号" (建築資料研究所, 1992) 

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八甲田ホテル(1991)

        Photo by Daigo Ishii