弘前 和と洋の融合
藤田記念庭園(弘前、青森、日本)

城下町を築く場所として、弘前が選ばれたのは、高台の地形が大きな理由でしたが、藤田記念庭園に立つと、その地形の利を目の当たりにします。西に向かって、急崖が落ち、その先は、建て込んだ町が郊外になり、やがて田園に移って行きます。13mの高低差のある、弘前の地形のダイナミックな変化をそのまま取り入れ、急崖の上と下の両方に庭園が広がります。

その、上の庭の、陽当たりと見晴らしに恵まれた場所に立つのが、和風の邸宅と可愛らしい洋館です。

この地に家を築いた藤田謙三は、明治5年(1873年)に弘前に生まれ、日活や、国土計画の前身の箱根土地の社長、日本商工会議所の初代会頭、そして、貴族院議員まで務めた実業家です。藤田別邸と称されることもあるのは、東京にある本宅に対しての意味で、生活の場というよりは、家族の避暑や、賓客をもてなすのに利用されました。

母屋の和館は昭和12年に、離れの洋館は大正10年(1921年)に完成しました。洋館の設計は堀江佐吉の六男堀江金造、施工は長男の堀江彦三郎によるものです。

ただし、本来の和館は、戦後、藤田氏が手放した後、昭和27年に焼失し、その後、昭和56年に、当時の持ち主が、近在の板柳町にあった日本家屋を、移築したものが、現在の和館となります。書院風の広間に、数寄屋の居室と、この手の和風の邸宅の基本を押さえ、決して質が低い訳ではありませんが、ちょっと地味なのはそのせいなのでしょう。焼失前の写真を見ると、玄覧居に負けず劣らずの、豪勢な入母屋の書院風のつくりだったようで、同時期に竣工したことからすれば、玄覧居と張り合う形となり、結果としては、こちらも経済対策になったのかもしれません。

赤いとんがり屋根をいただく洋館は、瓦屋根を除けば、ユーゲントシュティール風というか、アーツアンドクラフト風というか。掛けた金の投入量をデザインに反映したような、正統的なネオバロックやネオルネッサンスの洋館も魅力的ですが、当時は、自然がもっと近かっただろう町外れのランドスケープには、壁の、荒く塗り上げたラスティック仕上が持つ、少し荒涼とした雰囲気は、ぴったりです。

野の気配に近い地の建築には、「真」の正統的な洋館では出せない「草」の空気がふさわしかったのかもしれません。

インテリアは、アーツアンドクラフトともつながりの深いアールヌーボーの気配がところどころに、挿し込まれています。優雅な装飾やステンドグラスはあるものの、全体的に控え気味なのもまた「草」なのでしょうか。

建物を圧倒する広大な庭は、資産に恵まれた者ならではで、2万平米という広さは、東北では、平泉の毛越寺の庭園に継ぐ規模とのこと。崖の中腹の、滝と朱塗りの橋を巡る山あいの小径の風情や、滝から流れ落ちた水が、明るい庭の中で曲水を描くあたりが見事です。陽当たりのいい高台の庭の大らかさが、崖のランドスケープで、一度、繊細な山里の空気に絞り込まれ、下の庭に達すると、緊張感から解き放たれたように、滔々と、のびやかに広がって行きます。

母屋の和館の格からすれば、この規模で作庭された庭があっても不思議ありませんが、しかし、どこかつくりすぎた印象も否めません。洋館の野の雰囲気同様、この地の持つ自然をもっと残した庭が、この場所にはふさわしかったと思うのは、僕だけでしょうか。

余談
日本一のりんごの産地弘前は、アップルパイの町としても有名です。アップルパイガイドを観光協会がつくるほどの激戦区の店の中から、藤田記念庭園のカフェでは、4店5種類のアップルパイをワンプレートで味わえます。アップルパイの幅の広さを知るにはお得です。個人的には、甘みが控えめで、ナッツとのバランスがいい、田村ファームのアップルパイが一推し。

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交通
弘前駅から駒越、弥生、枯木平方面行きバスで20分、市役所前公園入口で下車、徒歩5分。または、土手町循環バスで20分、市役所前下車、徒歩5分。日中は頻発。

リンク
藤田記念庭園

弘前市役所

弘前観光コンベンション協会
弘前総合情報RIng-O Web

青森県観光情報サイト
あおもりの文化財
文化遺産オンライン

宿泊施設のリスト
弘前市旅館ホテル組合

参考文献

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Update 2010.06

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藤田記念庭園 (1921)

        Photo by Daigo Ishii